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量子コンピューターの最適化機能とAI(人工知能)

  • 2020/02/10

富士産業有限会社、下代勝レポート。

 

母校(中高)の同窓会創立70周年記念式典・祝賀会が今月ありました。

その記念文集に寄稿した文章(昨年11月に執筆)に加筆したものが今回のお話です。

今年は、世界的に大変な事が既に起こっています。未来を見据えて、今年も自分の気付く範囲で、色々お伝え出来ればと思います。

 

 

備え付けの電話機だけしかなかった時代は、電話番号が正しくても、本人が出るかも知れないし、その部屋に居る他の人が出るかも知れない。

当時は、全て確率の問題でした。

デジタル化とは、アナログ情報からノイズを消し去って、整数の配列のようにして情報を処理すること。

電話の話で例えるならば、携帯電話・スマホに掛ければ当然の如く本人が出ます。ノイズは掻き消され、一対一対応のデジタル化の感覚に、社会(個人)は知らず知らずの内に慣れ親しんでいるのかも知れません。

 

量子コンピューターが開発されたと聞きます。従来の「0」か「1」かの2進法によるデータ処理から、「0」かも知れないし「1」かも知れないという量子力学の理論を応用したデータ処理がなされるようです。そこでは、今まで困難とされてきた最適化の計算が瞬時に出来るとの事。

 

地球温暖化(中世の温暖期に着目する立場からすれば、現代の温暖気候)の中、大雨で堤防が決壊し、多くの人命・財産が奪われました。悲劇を繰り返さない為にも、住民の避難時間の確保を前提とした対応が必要となります。

AI(人工知能)が人の生命・財産に優先順位を付ける事にコンセンサスが得られるのであれば、量子コンピューターの機能を駆使して、AIが天候予測をしながら複数のダムの事前放流を調整し、被害の最小化を目指す時が来るかも知れません。気象状況は刻一刻と変化し、住民の避難完了時点で、堤防は決壊するかも知れないし、決壊しないかも知れない。量子コンピューターへの期待は大きいと思います。

 

「AI利用に関する倫理」の議論では、「AIを利用して、プライバシー等を含む基本的人権を侵してはならない」などの文脈が垣間見られます。「基本的人権を侵してはならない」のは、何もAI利用に限った事ではありません。

AI利用に関する倫理の特異性は、AIが既に論理や知識の領域で人間の能力を越えている事にあります。

 

将棋では、AIがトップ棋士に勝ったりします。AIの奇妙な棋譜・将棋の流れは、棋士の研究対象となっているそうです。なぜAIがそこで「その手」を打つのか。それはトップ棋士ですら分からないようです。わかっていれば、勝負に負けないか、二三手打って投了となるという事でしょうか。

 

未曾有の災害から住民の生命・財産を守る為に、量子コンピューターの最適化機能を駆使したAIの利用が待ち望まれます。しかし、そのAIが導く結果に、人間はただただ従わざるを得なくなるところに大変な危うさを感じます。

 

結果としてAIが将棋に勝ってしまうような、AIの実力を見せ付けられるケースが各方面で続けば、理解は出来ないけれどもAIがそうしろと言うのだから、そうすれば正しいのだろうと納得するしかありません。

 

SF映画では、AIの暴走が御決まりのテーマになっていました。

AIが人類を征服しようとしたり殲滅しようとしたり。AIに公害を自動的に無くすようプログラミングしたら、人類が公害の元だと判断して人類を駆除しようとした、というような理由付けも有りました。自分も、そう言ったストーリーに未来を感じながら映画を観ていました。

最近では、AIに関する第一の問題:「AIの暴走」よりも、AIに関する第二の問題:「AIの悪用」の方が遥かに起こる確率が高いという事で、議論の対象は悪用防止の方へ傾いているようです。

それはそうなのかも知れませんが、それに加えて、AIの暴走や悪用がなくても、AIに関する第三の問題とも言える:AIの決定に従わざるを得なくなる「AIへの服従」時代がそこまで来ているように思います。

そこでは、意思決定に対しての「透明性」や「公平性」が保たれたかどうかの説明も、「AIに従ったのだから」となります。

被害の最小化とは、被害をゼロにする事ではありません。生命・財産に優先順位を付けて処理していく事を意味します。

AIの利用は、量子コンピューターの開発で、更に加速度的に広まって行く事が予測されますが、最適化の機能活用の場面で、「AIに生命・財産の優先順位を付けさせてよいのか」という倫理問題が、本来は真っ先に検討されるべき課題ではないでしょうか。

 

一方、量子コンピューターが実用化されれば、ある種の暗号は即座に解読される日が来ると言います。セキュリティあってのデジタル化社会の中で、どこかアナログだった時代を懐かしむのは、自然の流れなのかも知れません。

 

以上が令和元年11月時点で、自分なりのAIと社会の関り合いについての考察です。

状況は日々目まぐるしく変化していきます。これからも、 機会を見付けて考えて行きたいと思います。